体の使い方

合氣道の稽古、技を修練します。これはあくまで禊であると考える。神道であり宗教的な要素を感じます。侍の時代の人々は、どの様にしていたのか?身を守る術を、どのように求めていたのか?農民は鎌、鍬を持って戦いました。侍は、刀を持ち命のやり取りをしていたのでしょう。
現代にいたっては、術ばかりの稽古で精神的な成長のないものが多い。
どこでその技を使おうというのか?いくら素晴らしい技にも落とし穴が沢山あります。武道の修行者に技が通用するのか?(私の私見)卓越した人のみできる事であって、万人が出来るわけではありません。
合氣道の場合は、戦わない争わない精神を学び健康法の一つとしても立派な武道であります。居合道を学び、合氣道を修行して思うことは技ばかりに走るのではなく、その理合を学び感じ取り感性を磨く。これが私たちの合氣道であり、人格の形成につながっていくと思うのです。技、スピードがいくら身についても必ず隙がある。日々の稽古で、感性を磨き争わない理念に基づき修行する事が大切だと思います。  合掌

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